「怪奇幻想朗読百物語(あやしおそろしひゃくがたり) 第六夜」、無事終了しました。
なんか上手くいったみたいなので調子に乗って解説などしてみることにします。
読んだ作品は、小酒井不木「死体蝋燭」。嵐の夜の寺で和尚が小坊主に恐ろしい告白をして……、という話なのだが、これをどういう読み方、演出で表現するかを考えた。
怪談を聞かせる会なのだからいかに怖がらせるかが肝だ。で、どこで怖がらせるのか作品を探ってみると、和尚が小坊主に話す内容が怖いのである。しかも、テキストの半分以上がそれである。つまり、和尚の台詞がいかに怖いかにかかっている。考えたのが、和尚がリアルに目の前で喋っている、ということだ。お客様がいつしか小坊主になった気になってくれればなお良い。そうすると台詞部分をきっちり演じる必要がある。台本に目をやってはいけない。
また、和尚と小坊主の短い台詞の掛け合いがある。「これは落語だな」と思った。安易かもしれないが正解だったと思う。それぞれの話し掛ける向きを左右に振るだけなのだが……。落語っぽい和尚の手振りも付けることにした。
地の部分をどう読むかは決らなかった。台詞は完全に憶えるつもりでいたが、地の文はなるべくなら憶えようぐらいの気持ちで決めかねていた。本番前日あたりになってほぼ入っている状態。「よし、台本なしでいこう」と一時は決めたが、家を出る前に撤回。ちょっとつっかかってもダメージは大きい。お客様がそれまで世界に入り込んでいたとしても、それを壊してしまいかねない。「台本を置いて、地は読み、台詞は演じよう」と決めた。だが本番はまた変った。空間を自分の存在で支配したいという欲求が起こり、台本をチラっと見つつも前を向いて語りはじめた。中盤の長い台詞は予定通り演じた。その後、地の文がいくつかあるのだが、勢いで台本を見ずに語った。いや、途中ページを捲っていないので見ようにも無理なのだった。
こうして、語り+一人芝居+落語というスタイルが完成したのであった。
演出に関しては、演ずるということを考えると空間も夜の寺の本堂の雰囲気に近づけようと照明はかなり暗くした。いつもはやや暗め程度なのだ。あまり暗くすると台本読めないし。また、小さいテーブルを用意してそこに蝋燭を置いた。これは、作品がまさに蝋燭を扱ったものなので小道具として。怪談の雰囲気作りとして。更に、(これは効かなかったかもしれないが)和尚の顔や眼の表情を活かすためでもある。
朗読が終って、最も恐れていたお客様にお話を伺った。以前出演させて頂いた劇団の座長のO倉氏であるが、ひじょうに満足されたようでほっとした。「ちゃんと芝居になっとる」「ああ、これ語りだね」などの言葉を頂いた。おもにスタイルに対する評価である。根底にある朗読の要素を評価していない訳ではないのは分かったのだが、ちょっと複雑だ。次に芝居や落語の要素を排除した朗読をやったとしたら、彼を楽しませることができるのだろうか。これは半端な朗読はできないぞ。
贅沢な悩みを生み出した第六夜でした。