「河崎卓也読宴会Vol.1a」のプログラムより
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この作品をはじめて読んだのはそんなに古くはなく、読みながらこれは朗読でやりたいなと思ったのを覚えている。ドラマがあった。このドラマを流麗かつ生々しく語り演じる自分をその場でイメージしたのだ。
いつかやろうと声に出して読み始めたのだが、これが読みにくい。黙読した時には感じなかった読みにくさというものがあるのだなと思った。なぜこんなに読みにくいのかとあれこれ考えると粗がいろいろ見えてきて、結局僕は「悪文」なんだと結論づけた。
しかし、上手く読めない言い訳にするつもりはない。悪文と感じさせずに読んでやろうじゃないかと考えている。悪文だろうが何だろうがこの素晴しいドラマを伝えたい、そう思って格闘した。僕のような者に悪文呼ばわりされたのでは作者があまりにかわいそうだが、これだけ格闘したのだからそれぐらい言わせてもらってもいいじゃないかと思う。
さて、その内容はといえば坂田藤十郎の芸の苦心とそれをいかに解決したかという話で、そこに女が絡む。「芸のためなら女房も泣かす」と唄にされたのは噺家の初代桂春団治。藤十郎はそれよりもっと酷いかもしれない。残念ながら僕はそこまで執念を燃やして芸と向き合ったことは今のところない。むしろ、致命的な欠点を抱えたまま名を残すまでに至らなかった「山月記」の李徴に近いかもしれない。
ふと考える。この作品を読む時、僕の芸に対する姿勢・意気込みがそこに現れるではないか。特にこの作品ではそれが顕著になるのではないかと。僕が語る藤十郎は僕自身のサイズ以上にはならないのだと思う。恐ろしい作品を選んでしまったものである。
これから先、僕はこの作品をくり返し口演し、その中の藤十郎と共に成長していくつもりだ。まずは本日の藤十郎はいかがなものか、それをじっくりとお楽しみ下さい。