役者をやってきて、何度か滑舌をほめて頂いたことがある。サシスセソやラリルレロが若干危いが、自分でもそう悪くはないと思っている。役者として唯一まともな部分かもしれない。ただ、思うのは、日常でははっきり喋る方ではないのに、どこで発語能力を身につけたのかということ。
考えてみたら、その素地を作ったのは歌である。ロックである。10代の頃、ロックを好んで聴いていた。当然、自分でも歌いたくなり、真似して歌ってみたりする。それなりに歌えているような気がするのだが、ある日録音して聴いてみようなどと思い立つ。それでどうなったかはお分かりだろうが、頭の中でガーンと音が鳴るくらい愕然とした訳だ。ただ、客観的に評価し分析する能力があったのが救いだった。
分析結果はこうだ。「自分の口元で完結しており、前に、外に飛んでいない」「言葉が不明瞭。伝えようとする意志が感じられない」「ロックは恥じらいが見えると聴いている方が恥ずかしい。」
そして、対策は「自分はカッコいい、『俺の歌を聴けよ』ぐらいに思ってやらなくてはいけない。」「言葉を弾けさせるように発語しなければならない」ということだった。 それを踏まえて歌った。まわりにたくさん迷惑をかけつつも、歌った。それなりに上手くなった。歌っている時のオレは別人格だ。
そして、30代になって芝居を始めた訳だが、残念ながら演技している時の僕はそこまでやり切れていない。芝居仲間に歌を披露する機会があると「演技してるときよりずっといい」などと言われる。歌うように演技ができれば、と思う。ただ、つい雰囲気でやってしまったり、それはそれで難しい。でも、歌と演技がどこかでがっしり繋がるときが来るのを信じている。
とにかく、音楽をやっていた経験がなければ、芝居に手を染めることはなかっただろう。言葉に対するこだわりもその頃からあった。ロックを演奏したがる連中の中ではめずらしく言葉を伝えようとした。まず詩を書いて、その言葉が生きるようなメロディーを付け、詩の世界を具現化するようなアレンジを試みた。自己表現の域を出るものではないが、当時の曲は今でも気に入っている。
役者をやってるといろいろと思い詰めることがあるが、そんなときは当時の外へ向かう情熱を思い出してみよう。