今更のごあいさつ。あけましておめでとうございます。
昨年は朗読ばかりやっておりましたが、日の目を見る当てもなく芸事をやってきてもう10年ほど経ちます。それともたったの10年というべきでしょうか。どれだけ本気で打ち込んできたか振り返る良い機会かもしれません。他人と比べても仕方がないのですが、世に名を残した人達は並ならぬ打ち込み方をしてきたようです。破天荒な生き様で「芸のためなら女房も泣かす」と歌になった初代桂春団治。「芝居と結婚した」杉村春子。役のために歯を抜いた坂本スミ子、松田優作。人の道を外れないまでも、自分を追い込み、あるいは溺れた芸人達。とはいえ、その姿はみな人間のままでした。
芸を追い求め虎になった人の話しがある。中島敦「山月記」の李徴。才能がありながら詩家として名を残すまでに至らず、思い悩んだ末、はからずも虎になってしまったのだ。しかし、虎になったのと引き換えに何かを手に入れた訳ではなかった。一流になれなかったのには理由があり、その理由が虎の姿として外面に表れたのである。まさに踏んだり蹴ったりだ。
考えてみるとそう言うことはあたり前にあるような気がする。才能を信じて成功を夢見て道を進みながらも致命的な欠点に気付いていない。「山月記」の言葉を借りれば、「しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処か(非常に微妙な点において)欠ける所があるのではないか」というような欠点。それに気付いた時には取り返しのつかないところにいた、と言うようなことが。多くは、その前にあきらめてしまったり、二流で満足したり妥協してしまったりするのかもしれない。このことは当然自分にも当てはめることが出来る。考えようによっては僕の人生が李徴にそのまま当てはまる。まだ、虎になっては、狂ってはいないようだが。果して自分は今どの段階にいるのだろうか。
そんな事を考えて始まった2010年です。
ということで、寅年にちなんで「山月記」を朗読してみました。>>こちら